吉村雄輝の妻(嫁)は池畑清子で実家は宗衛門町の料亭「浜作」!
吉村雄輝さんの妻は宗衛門町の料亭「浜作(はまさく)」の娘・清子(きよこ)さんです。
吉村雄輝さんは妻の事をよく怒鳴ってたそうで、妻はぜんそく持ちで病気がちでずっと伏せっていました。
そして、2人に離婚の話が持ち上がり、子供の池畑慎之介さんは体の弱い母親の清子さんを守る為に母親について行き、姉共に鹿児島市に移住をします。
清子さんの両親が経営してた浜作の経営が厳しく、尼崎・八尾を転々とし、清子さんの父親の出身地の鹿児島市に移りました。
鹿児島市では、清子さんの父親は指宿市の観光ホテルの料理長を、清子さんは天文館で「淀川」という料亭を経営しています。
両親の離婚について、池畑慎之介さんは
もともと好きあった者同士、夫婦間の問題だけなら離婚までしなかったでしょう。ただ、そこに至るには、母の実家に対する父の裏切りもありました。父のために稽古場を作り、あれこれ援助もしていたのに、父は、いざ店が傾き始めると、自分だけさっさと逃げ出してしまうのです。
芸人としては天才だけど、親や夫としてはどうしようもない。父は、そんな紙一重な人でした。慰謝料や養育費も、1円だってもらっていません。たぶん、芸を磨く上で障害になるなら、妻も子供も要らないと思っていたんですね。実際、父の創作活動の最盛期は私たち家族を捨てていた時期でした。
引用:https://www.fujingaho.jp/culture/archives/a65109718/fg2025-father-to-son-shinnosuke-ikehata-250709/
と話されています。
離婚時に吉村雄輝さんから1円も慰謝料も養育費も貰っていないとの事です。
吉村雄輝さんは芸は一流でしたが、夫や親としてはあまり良くなかったとの事です。
鹿児島市に移住をし、妻の清子さんはドンドンと元気になって行きます。
さらに、池畑慎之介さんは清子さんをもっと喜ばす為に勉強をし、ラ・サール中学に合格出来ました。
母の喜ぶ顔を見たいという気持ちが大きかった。授業参観でも父親はいない。そんな時に一番初めに手を挙げて、褒められたら母の鼻も高いだろうと思って。学年でもトップクラスの成績だったから、先生に「ラ・サール中学がある」と教えられたんです。そんなところがあるんだと知って、受験したら合格しました。
池畑慎之介の家出をきっかけに再婚
中学3年の池畑慎之介さんは家出をしますが、その出来事がきっかけで吉村雄輝さんと清子さんは再婚をしました。
新宿へ行くつもりが原宿へたどり着き、表参道のクラブで募集していたゴーゴーボーイに応募し、年齢をごまかして働き始めたが、来客(若柳流関係者)に問われて父が吉村流の家元であることを言ってしまったために在京の吉村流の関係者に発見され、たまたま歌舞伎座に出演していた父に伝えられる。慎之介が夜中目覚めたら枕元で父は泣いており、実家に連れ戻された。この事件を機に両親は復縁している。
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%95%91%E6%85%8E%E4%B9%8B%E4%BB%8B
その後、吉村雄輝さんが亡くなった事で、池畑慎之介さんは清子さんと再び熱海で同居を始めます。
清子さんは、2002年1月に76歳で亡くなっています。
ピーのママも、12年前の1月に天に召されました。
一卵性親子
池畑慎之介さんは中学時代に学校の先輩男子の事を好きになり、その時に母親に打ち明けると
別に、かめへんやん。あんたが誰を好きになろうと
と言ってくれました。
清子さんは、池畑慎之介さんに常に「自分の気持ちに正直に生きなさい」と教えてくれました。
池畑慎之介さんは清子さんと「一卵性親子」を自認する程、何事も包み隠さない関係でした。
妹がいる
2013年3月17日の池畑慎之介さんのブログにて、2013年3月16日に清子さんの妹の80歳の誕生日パーティーを行った事が書かれています。
昨日、3月16日
熱海に長く住んでくれてた、亡き母の妹、叔母の80歳のbirthdayパーティー。
コメント