松澤寛政さんは、小さい時からサッカーをしてて、千葉県立幕張総合高校でフォワードを務め、千葉県大会でベスト8までなっています。
ずっとプロのサッカー選手を目指していましたが、中学時代からはプロは厳しいかもと思い始めてたそうです。
大学もサッカーをするつもりで、大学受験に挑むも、2年連続で失敗をしてしまい、人生の目標を失ってしまいます。
そんな日々を送ってる時に、父親からアメリカの航空券をくれ、2週間アメリカに行き、そこで本場のNFLを見た事で、NFL選手を目指す事を決めます。
松澤寛政さんは今までアメフトをした事がありませんでしたが、Youtubeで動画を見て、近くの公園で練習を行っていました。
そして、コミュニティカレッジを入る事を決め、週5でバイトをする生活を2年程続けお金を貯めました。
自主練の動画をSNSを通じて、コミュニティカレッジのコーチに片っ端から送り、ホッキング大学に入学する事が決まりました。
ホッキング大学に入ってから最初の3カ月は「Yes、No」しか話せないレベルでした。
当記事では、松澤寛政さんの経歴について書きました。
松澤寛政の経歴|高校・中学はサッカー部出身!
松澤寛政さんの経歴を見て行きたいと思います。
小さい時からサッカーをしてて、中学・高校時代にはプロを目指せないと思ってた
松澤寛政さんは小さい時からサッカーをプレーし、プロのサッカー選手を目指していました。
ただ、中学時代から段々とプロを目指す事は厳しいのかな?と気付き始めていました。
千葉県立幕張総合高校でフォワードを務め、高校3年時に千葉県大会ベスト8で敗れました。
大学受験に2年連続で失敗をし、人生の目標を失う
プロを目指す事は厳しいと感じ始めていましたが、大学でサッカーをする事を目標に、一般入学者にも入部の門戸が開かれてる大学を目指すも、大学受験に2年連続で失敗をしてしまい、人生の目標を失っていました。
その後、何の楽しみもなく、虚無感みたいな時期が2年間程続きました。
父親に航空券を貰い、アメリカに行く
松澤寛政さんは当時は何とかして自分を変えたいとも思ってて、父親がアメリカの航空券をくれた事で、プランなく自分を変えるきっかけを掴む為に、アメリカに行きます。
到着はサンディエゴで、帰りがロサンゼルスなので、それに合わせてスケジュールを決めて行きました。
ホテルも決めておらず、クレジットカードを凄い使ってしまい、LAに行った時にクレジットカードが止まりました。
そこで、現金が少しだけあったので、地下鉄を使うと、カリフォルニアでも有数の行ってはいけないエリアを通る地下鉄で、そこは2度と入ったらいけないぐらいとひりついた印象を受けたそうです。
自分は大人だと思ってたけど、アメリカに来たら、「言語も通じず、お金もない、日本みたいに安全でもない」事を肌で感じた時に、まだまだ全然知らない世界があり、このまま人生を終わる事が出来ないと思う事が出来ました。
NFLの試合を見に行く事がだけは決めてて、日本にいた内にNFLの試合をチケットは買っていました。
現地観戦して、日本で感じる事が出来ない様な熱狂・日本で感じられない体験をする事が出来、「NFL選手は凄い」と思う事が出来ました。
Youtubeを見て、キックを学ぶ
アメリカでの経験や怖い思いはこのまま見過ごせないと言うのがあり、日本に帰って来て、アメリカで大きな事を成し遂げたいとの思いに変わり、その為にNFL選手になりたいと思いました。
当時は無理や無理ではないではなく、やっとやりたい事が見つかったという感じで、「やりたい事を実現するにはサッカーをしてたので、キッカー(キックを専門するポジション)を目指そう」となりました。
松澤寛政さんは19歳までアメフトは未経験でしたが、Youtubeでトップキッカーのキックの動画をたくさん見続け、それを完璧にまねできるとNFLに行けると思っていました。
ただ、最初にアメフトのボールを蹴った時には、「なんなんだ、この大きいサツマイモは」と思うぐらい、全然上手く飛びませんでした。
当時は人生のやる事は他になかったので、「人生の残り20年間はアメフト選手として生きる」と決めていました。
Youtubeでは「選手のテンポ・体の動き・どういう足の角度で入ってるのか・どういう位置を蹴ってるのか」を見るなど手探りの状態で、家の近くの公園でキックの練習を始めました。
この練習をした理由について
「日本人でNFLに行った人がいない中で、誰かに否定されたり、強制されたりすることは嫌だったので、自分の力を信じてやろうと思いました。ちなみに米国のテレビ放送ではこの話が変な伝わり方をしてしまって、YouTubeで学んだ『YouTube Kicker!』みたいに言われたりしています(笑)」
バイトでお金を貯める
NFLに行く為には、アメリカの大学に入った方がいいと直感的に思い、英語は話せないし、アメフトもやった事がなかったので、コミュニティカレッジと言う日本の短大の様な所に入る事を決めました。
ただ、当時は浪人生活をしてた状態なので、自身でお金を貯めないと両親を説得できないと思いました。
都内のステーキハウスで朝から夕方まで週5で働き、友達と会う事も控えて、稼いだお金のほとんどを貯金に回しました。
この様なバイト生活を2年程続けました。
SNSを使い、大学にアプローチ
自主練の動画をSNSを通じて、コミュニティカレッジのヘッドコーチにアプローチをしました。
コミュニティカレッジでアメフト経験がある人にアドバイスを貰い、片っ端からSNSで見つけたコーチに動画を送り、カリフォルニアとオハイオにある学校から返信がありました。
奨学金は出ずに、「来たいなら勝手にどうぞ」と言った感じのものでした。
松澤寛政さんは、人間として未熟な自分を叩き直し、厳しい環境で成長したいと思ってて、日本になじみのないオハイオのホッキング大学に行く事を決めます。
コミュニティカレッジは英語の要求水準が4年制大学より低かったので、受験で英語を勉強してた松澤寛政さんは入る事が出来ました。
松澤寛政さんはホッキング大学に入ってから、最初の3カ月は「Yes、No」しか話せないレベルでした。
ただ、大学の敷地内に寮があって、食事も3食出るので、生活は大きく困りませんでした。
以上が、松澤寛政さんの経歴に関する記事ですね。


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