篠原勝之の若い頃(昔)は?学歴は室蘭高校卒で美術大学を中退!

篠原勝之さんは、札幌市で生まれ、室蘭で育ちました。

小さい時は体は大きかったですが、外で活発に遊ぶ訳ではなく、手先が器用だったので編み物が好きでした。

父親がかなり怖い人で、毎日怒られる事に怯えて暮らしてて、当時は楽しい事が一つもありませんでした。

そして、家を出る事を決めて、学校終わりに土方の仕事をしてお金を貯めて行きました。

高校時代には美術部で油絵をかき、地元の新聞にも掲載されています。

高校卒業前の3年生の冬休みに家を出て上京をしています。

武蔵野美術大学に入るも、学費が高いなどの理由で辞めてしまいます。

辞めた後はデザイン会社に勤務しますが、1年で辞めてしまいました。

そして、30代半ばまで土方で稼ぎ、売れない絵を描き続けました。

絵本「珍怪魚アニール」が唐十郎さんの手に渡った事で、状況劇団のポスターを描き、舞台美術・客入れを6年間担当しました。

当記事では、篠原勝之さんの若い頃について書きました。

目次

篠原勝之の若い頃(昔)は?学歴は室蘭高校卒で美術大学を中退!

篠原勝之さんは、1942年4月15日に札幌市で生まれ、室蘭で育ちました。

学歴は

室蘭市立朝陽小学校→室蘭市立蘭東中学校→北海道室蘭栄高校→武蔵野美術大学 中退

となります。

そんな篠原勝之さんの若い頃について書きました。

小さい時に左耳の聴力と嗅覚を失う

1歳の時にジフテリアにかかって、隔離病院に入院をし、その時に太平洋戦争がはじまります。

奇跡的に助かりましたが、後遺症で左耳の聴力と嗅覚を失いました。

身体は大きかったですが、外で活発に遊ぶ訳でもなく、常にボーッとしてて、授業も聞こえなかったから勉強も面白くなく、学校では仲間外れになっていました。

そして、手先が器用だったので、母親の内職を手伝うなど編み物や縫い物に夢中になって行きました。

父親が怖くて、家を出る決心をする

父親が3交代制の製鉄所から帰って来ると、男が縫い物や編み物をしてる事を大声で怒鳴られ、張り飛ばされた事もあります。

父親は元警察官で、ガタイもよく力が強い人でした。

そんな時に篠原勝之さんは社宅の裏の大きなごみ収集箱に入って、編み物をしたりしていました。

この当時は、父親に怒られる事に毎日怯えてて、楽しい事が一つもありませんでした。

ある日に自ら天国に旅立とうとするも、想像したら怖くなり出来ませんでした

その後は、家を出る決心をし学校が終われば室蘭港やセメント工場で土方の仕事を行い、稼いだお金の一部で画材を買って、美術部で港や工場で働く人の油絵を描くと地元の新聞に記載されました。

父親について、篠原勝之さんは

その当時は鬼のようなやつだと思ったが、今考えると、親父も戦争に負けてつらかったんだろう。とにかく、長男が男らしくないのが気に入らないんだ。俺はただやられっぱなし。ぶたれてメソメソしてるだけ。叩かれて痛いのはどうってこたあない。これから叩かれるぞ、という時間が怖くて痛えんだ

引用:https://news.line.me/detail/oa-shujoprime/0vnwtan3sn1t?mediadetail=1

実際に、父親は戦争で満州に行ってて、満州から帰って来てからは機嫌がいい日はなかったそうです。

高校3年の冬休みに家を出る

高校卒業前の3年生の冬休みに家を出ます

出る時に、母親が家の玄関でヘソクリを持たせてくれました。

1人で上京し、初めて本州に向かいました。

父親に怯えなくていい事が分かってたので、晴れ晴れとした愉快な気持ちでした。

そして、お金の工面をし、武蔵野美術大学に入り夜は土方で学費を稼ぎました。

ただ、学費も高く、デッセンをさせられる事がバカバカしくなり、教えられる事も好きじゃなかったので、大学を辞めました。

唐十郎の劇団のポスターを担当

大学を辞めた後は、デザインの会社に勤務するも、会社員が合わずに1年で辞めました。

30代半ばまで土方で稼ぎ、売れない絵を描き続けました。

鉛の漆黒が好きで、鉛筆なら画材も安いので、6Bから6Hまで鉛筆で絵本をかき複数の出版社に持込むも連絡がありませんでした。

そして、自費出版で絵本を3冊作り街で売り歩くも売れませんでした。

そのうちに1冊の絵本「珍怪魚アニール」が当時新宿で状況劇団を主宰してた唐十郎さんの手に渡った事で

次の「海の牙」と言う芝居のポスターをかかないか?

と言われ、1973年から6年間状況劇場でポスターをかき、舞台美術・客入れも担当しました。

そして、篠原勝之さんは唐十郎さんの戯曲に魅了されて行きました。

俺の知らない不思議な世界だ。戯曲ができると唐さんが役者の前で読み上げる。そのイメージでオレがポスターを描く。『ポスターは紅テントの旗印。それをもとに進んでいくんだ』と言われてその気になったんだ

以上が、篠原勝之さんの若い頃に関する記事でした。

篠原勝之さんは父親との折り合いが悪かった事で上京をしたんですね。

エピソードを見てる感じだと、父親は昔の怖いお父さんみたいな方ですよね。

中々のスパルタ教育ぶりで、見てるだけで厳しさがヒシヒシと伝わって来ます。

あわせて読みたい
篠原勝之は妻(嫁)と離婚してる!子供は息子と娘がいた! 篠原勝之さんはデザイン会社に勤務してた時に、結婚し子供がいました。 前妻は普通の人で、働き者だそうです。 前妻との間には子供が2人いて、息子と娘がいます。 会社...
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次