神谷力さんは、1939年に仙台市に生まれました。
父親は東北大学の教授で、その後左翼の革新活動を行う様になります。
母親は父親が占領軍に拘束された事で、5歳程年下の男性と恋に落ちます。
ただ、その男性は遊びだった事が分かり、母親は大量の睡眠薬を飲み亡くなってしまいました。
その後も父親は革新活動を行ってて、実家が貧乏だったので、小学校6年から住み込みで働きながら学校に通いました。
中学3年に父親と義母と暮らし始めました。
高校は仙台高校を卒業しています。
東北大学を受験しますが、不合格だったので、高校卒業後は就職をしています。
当記事では、そんな神谷力さんの生い立ちや学歴について書きました。
神谷力の学歴や生い立ちは?
神谷力さんは、1939年に仙台市に生まれました。
父親は東北大学の教授で、太平洋戦争が終わると左翼の革新政党の活動を行う様になります。
神谷力さんが小学校3年時に、父親は革新政党の活動で占領軍に拘束をされます。
その影響で、母親は6歳程年下の男性と恋に落ちてしまいます。
母親が亡くなる
神谷力さんが小学校5年時にサンフランシスコ講和条約が締結され、父親は拘束が解かれて自宅に帰って来ます。
父親は母親に不倫を辞める様に説得をするも、母親はその男性の元に行きます。
ただ、その男性は単なる遊びだったので、母親を冷たくあしらいます。
その事で、母親は自宅で睡眠薬を大量に飲み、2日後に亡くなってしまいました。
働きながら学校に通う
その後も、父親は革新政党の活動に力を入れ、働こうとしないので、生活は苦しくなりました。
さらに、兄も革新政党の活動を行う様になります。
神谷力さんは、小学校6年から県北にある工場に住み込み、働きながら学校に通いました。
そして、中学3年の始めに父親と義母と暮らす様になります。
神谷力さんの生い立ちは中々壮絶なものですよね。
母親とのエピソードはかなり悲しいものだった事が分かりますよね。
ただ、義母とは上手く関係を築けたのは、生い立ちの複雑さを考えると難しそうに思いますが、意外でしたね。
大学受験失敗で高校卒業後に就職
1958年に仙台市立仙台高校を卒業しています。
神谷力さんは東北大学への進学を望んでて、受験するも不合格で終わります。
他の大学を受験したり、浪人する事はなく、高校卒業後は上京し就職をしました。
その後の経歴ですが
- 1959年、東京に移住し、池袋の書店に勤務
- 1961年、音響機器製造会社に入社
- 1964年、会社が倒産
- 1973年、空調機器製造販売会社に入社
- 1977年、経理部副部長に就任
- 1981年、食品会社「株式会社ヘルシー」設立準備を始める
- 1986年12月、自動車部品製造会社に入社
- 1990年、自動車部品製造会社を依願退職する
ちなみに、仙台高校は
以上が、神谷力さんの生い立ちや学歴に関する記事でした。
不合格でしたが、東北大学を受験されてるので、それなりに学力が高い人だったのでしょうかね。
東北大学は父親が教授を務めてた学校な事を考えると、神谷力さんは父親の事を尊敬されてたのかも?しれませんね。
父親は中々攻めた人生を歩んでる人で、母親の事を考えると、父親の事を恨んでもおかしくはないですが、そんな事はなかったのですかね。



コメント