神谷力さんの父親は東北大学 工学部の教授をしていましたが、太平洋戦争が終わると仕事を辞めて、左翼の革新政党の活動を行う様になり、占領軍に拘束されてしまいました。
その影響で、母親は6歳程年下の男性と恋に落ちました。
その後、父親は自由の身になり、母親を説得するもその男性の元に行ってしまいます。
ただ、その男性は遊びだったので、跳ね返されてしまい、母親は自宅で大量の睡眠薬を飲み、38歳で亡くなってしまいました。
その後も、父親は革新政党の活動を行い、兄もその活動を行う様になります。
兄は5歳年上で市議会議員を務めたり、冤罪事件の救助活動を行ったりしていました。
裁判中に神谷力さんは兄に助けを求めましたが、断れてしまいます。
当記事では、神谷力さんの家族について書きました。
神谷力の父親と母親は?【家族】
神谷力さんの父親は東北大学 工学部の教授をしていました。
父親は太平洋戦争が終わると、教授を辞めて、左翼の革新政党の活動を行う様になります。
神谷力さんが小学校3年時には革新政党の活動で占領軍に拘束されていました。
母親は教授夫人から一転し、貧しい立場になってしまいますが、働きながら子供達を育てていました。
ただ、母親は寂しさから6歳程年下の男性Yさんと恋に落ちます。
父親は大学教授とかなりいい育ちの人の印象ですが、革新政党の活動にのめり込み始めてからは少しずつ神谷力さんの運命の歯車が狂い始めて来た感じがしますよね。
母親が大量の睡眠薬を飲む
神谷力さんが小学校5年時に講和条約が発効し、父親は自由の身となり、母親に心込めて説得するもYさんの元に行きました。
ただ、Yさんにとっては遊びにすぎなかったので、けんもほろろに跳ね返されました。
そして、母親は自宅で大量の睡眠薬を飲んで深い眠りについてしまいます。
神谷力さんは唇がひび割れしない様に脱脂綿に水を浸し母親の唇を潤していましたが、隣室で東京に働きに出てて戻って来た兄と父親が相談してる内容が聞こえてしまい、母親がこの様になったのはYさんの無責任さである事を知って、神谷力さんはYさんに怒りがこみあげて来ました。
神谷力さんは意識が戻る事を心待ちにしましたが、母親は2日程苦しみ神谷力さんに見守られながら亡くなりました。
その時、兄は外出をし、父親は台所で夕食のしたくをしていました。
母親が亡くなった時について手記で
母親の事がかなり悲しかった事が伝わって来ますよね。
神谷力さんはYさんの事はかなり恨んでたのでしょうね。
義母と暮らす様になる
その後も、父親は革新政党に力を入れ、働いて子供を養おうとしませんでした。
さらに、兄も革新政党の活動にのめり込んで行きます。
生活が苦しかったので、神谷力さんは、小学校6年から中学2年まで県北にある工場に住み込みで働きながら学校に通いました。
中学3年の始めに、父親と義母と暮らす様になります。
義母とは心が通い合ったそうです。
兄は市議会議員
兄は、5歳年上になります。
市議会議員を務めたり、冤罪事件の救援活動をしていました。
なので、神谷力さんは裁判中に兄に助けを求めましたが
と断れたそうです。
この事を神谷力さんは、マスコミの報道を信じたせいと手記で語っていました。
以上が、神谷力さんの家族に関する記事ですね。



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